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【TheNewGate創業ストーリー 前編 】世界に対して爪痕を残し、関わった全員を幸せにしたい - 松下宇流麻

こんにちは、株式会社TheNewGate(ニューゲート)人事の髙橋です。

当社、株式会社TheNewGateは「IT領域を基軸とした事業」を展開している会社です。
そして、より一層TheNewGateの魅力を理解して頂きたく、本記事を走らせました!

今回は、皆さん待望の「TheNewGateの誕生秘話」に迫りたいと思います。

CEO松下さんが当社を創業したストーリーを
【起業前】【起業直後】【現在】【未来】と順序立ててお伝えしていきます。

特に起業前のエピソードゼロに最もフォーカスしているので、
「松下さんがこれまでどのような過去を歩んできたのか」
気になる方にとっては満足のいく内容になっているのでは無いかと思います!

どういった想いで会社を立ち上げ、その先にどんな未来を描いているのか、
松下さんに思い切ってインタビューをしてみました。
それでは、少年時代から一緒に振り返っていきましょう!

プロフィール

1993年、東京都生まれ。2012年に高校を卒業後、都内のWEB系企業やアメリカ企業のAIプロジェクトに参画。2018年4月、群馬県に株式会社TheNewGateを立ち上げ、代表取締役社長 / CEOに就任。東京をはじめ全国に10拠点の支社を構える。趣味は野球、ゴルフ、サーフィン、登山 and more。


Uruma Matsushita's Wantedly Profile
株式会社TheNewGate, 代表取締役社長 学業を終えた後、Web業界へ. 学生時代より世界に爪痕を残す人生にしたいと考えていましたが、様々なIT分野に挑戦した経験をキッカケに、IT技術を用いて世界の常識をデザインすることを志した. " Simple. " に物事の本質を捉えることこそ、新たなイノベーションの礎になる. 誰よりもポジティブ人間です.
https://www.wantedly.com/id/urumamatsushita


【起業前】人生を変えた恩師との出逢い

ー松下少年は、どのような学生時代を過ごしていましたか?

僕の少年時代を一言で表すと「変わり者」です。

とにかく遊ぶことが大好きで、どれだけ遊んでも全くの疲れ知らず。その時その時でハマることや没頭することも変わっていて、小学生時代は「理科」にハマっていました。自分でラジオを作ったり、親に買ってもらった顕微鏡で微生物を探したり、採取した花の花粉を見つけ出したりする時間がとても好きでした。

同時にスポーツに関しても、多数の競技にチャレンジしていました。体操教室や水泳教室から始まり、サッカー、バスケ、空手、柔道、野球を小学生のうちに経験させてもらいました。

そして最後の「野球」を始めた理由は、サッカーを辞めたかったからです。というのも、毎週応援にきてくれる父親が、どこにいても目立つほど派手だった事が、当時はとても恥ずかしかったからです。

そして結果としてですが、野球に変えたとしても応援には来てくれてましたね(笑)

あと野球を始めても「とにかく坊主にはしたくない!」と思っていたので、髪は今くらい長かったです。

ー中学時代は、どう過ごしていましたか?

サッカーから転換した後は野球一筋で、中学時代を振り返ると野球しか残っていないくらい、そのくらい没頭していましたね。

入学した中学の軟式野球部に対して、レベルがあまり高くない印象を受けてしまい、硬式野球のクラブチームに途中入団をさせて頂きました。

そしてなんと・・坊主になりました(笑)

そのチームの監督は、もともと松坂大輔選手を教えていた監督で、全国クラスの名門チームとして名が通っていました。

ーでは、高校時代はどうでしたか?

中学卒業後は「坊主にしなくていい野球部」があるという認識で高校を選んだのですが、都立では上位の成績を残す実力校だと判明し、野球部を蹴ってバスケ部に入部しました。

晴れて、高校生にして坊主を卒業することが出来たのが嬉しかったですね。

バスケ部に入部したのは良いものの、初年度の一番最初の大会でレギュラーに抜擢いただき、こんなものかと熱が冷めてしまい1年生の夏の終わり頃に退部をしました。

それからは特にアルバイト経験は積まずに、帰宅部として「新宿のアニメイト」に頻繁に通っていました。

そしてここから起業の話にぶつかってくる出来事なのですが、
高校2年生の時に、同級生の親が所属している草野球チームに入団する機会を頂いて、
そこでたまたま出会ったのが、今でも面倒を見てくださっている僕の経営そして、人生の「恩師」です。

その恩師も僕も、守っているポジションが同じく「ピッチャー」という接点もあり、すごく気にかけてくださってました。

そして実は、この時期に会社を作ろうと考え始めていました。

ーその恩師は、どのような方だったのですか?

最初その人に抱いていた感覚として、車やファッション等に強いこだわりはなく、いわゆる「高級な装い」とは異なる感じでした。

ところが、恩師の奥様がものすごく美人で、その奥様はどのようなポイントに魅力を感じたのか、ということが僕の興味を掻き立てました。

そこから恩師のことを、もっと知りたいなと思うようになり、
野球が終わった後に僕から食事に誘ってみて色々とお話を伺いました。

恩師は、20代に留学先で起業をして若くして成功していて、出会った当時は大手自動車メーカーなどの大企業向けにコンサルティングをしていました。
僕は「すごくカッコいいな」と感じていましたし、そんな姿に純粋に惹かれました。

元々、僕の父親が会社を経営していたこともあって、
いつかは自分もそういう道に進むのかなと、これまで漠然と思っていました。けれど、学生で起業をするきっかけってあまりなかったわけで。

ただ恩師と出逢ったことで「やっぱり自分はこの道に進みたい」と気づくきっかけにもなりました。
恩師はとにかく忙しい方で、時給10万円以下の仕事は受けないと決めているほど、時間を大切にする方でした。
それでも僕はその人との接点が欲しくて、野球の練習が終わって
「銭湯とマッサージに向かう、ちょっとした移動中の時間」に同席させてもらったりしていました。
一緒に温泉に入れる訳でも一緒に帰れる訳でも無いのに、本当にとにかく付いて回ってましたね(笑)

そこで色々と話しているうちに、自分の人生のテーマに気づくことができました。

恩師の言葉で

「絶対何かを行なって、出来ない事なんて何一つない」
「絶対最後の最後まで何があっても諦めるな」

と口癖のように仰っていて、そんな話をしているうちに、

僕は「世界に対して爪痕を残したい、そういう人生にしたい」と考えるようになりました。

それって一般的には中々容易に出来ることではないし、敷居の高いことではあると思うのですが、
僕はふと「自分なら出来るのではないか」と思わされました。

そしてこれが「自分が世の中を変えたいな」と思ったきっかけでした。

ー大きな転機でもあったのですね。その後はどうされたのですか?

今から9〜10年くらい前って、Web制作やWebマーケティングがようやく流行り始めた頃で、
「これからはITの時代が来るから、絶対にやっていた方が良いぞ」
と言われ、高校卒業後は直ぐに、恩師が持っているWeb制作企業にお世話になりました。

当時の僕はどうやって学んだら良いか分からず、ただ漠然と恩師に質問を投げたその結果のような感じですね。
そこでは、「獲得したプロジェクトに対してバックが付くような営業」のお仕事をさせてもらっていました。
その間もHTMLなどの基本のコード、それを用いた模写コーディング等、Web制作の基礎的なことについて沢山学ばせて頂きました。

ー松下さんはすごく営業力に長けている印象がありますが、この時期に培った経験が大きかったのでしょうか?

自分で0から営業手法を学び、どういう風にやったらプロジェクトを獲得できるか試行錯誤をしてみたり、それこそ週に2・3回は名刺交換会に足を運んだりと色々「営業活動」をしてきました。

自分でいつか会社を作ると決めていたものの
「何で会社を作るか」「何で世の中を変えたいか」のテーマが決まっていなかったです。

当時、自分が持ち合わせているスキルとして「IT領域の知識」があることぐらいで、
今後会社を作るために「営業力」が不可欠だと感じていました。

訪問販売の商材を自分で引っ張ってきて販売を行い、契約をとにかく獲得することにフォーカスし、
ようやく個人で纏まりのある収入を得られる様になりましたね。

その傍らで「自分でもサイト制作をしたい」と考え、高校生の時にハマっていた「アニメ」の情報発信サイトを作りました。

当時はWordPressを自分でカスタマイズして「ブログサイト」として立ち上げ、
「毎日3記事以上書く」と決めて1年半くらいひたすら継続的に投稿していました。

けれどアフィリエイトってすごく難しくて、
そもそもアニメ業界は大きなメディアでの発信もあるので、競合ももちろん多くて苦戦はしたのですが、ある程度は収入を得る段階までいく事ができました。

自分で0からサイトを立ち上げたことも凄く大きかったエピソードでもありますし、
一つの成功体験でもあったかなと思います。

その後、恩師とルームシェアのスタイルで、ロサンゼルスに居候させていただく「生活のチャンス」が巡ってきました。

そこでは常に恩師とご一緒させていただいたのですが、

「しっかりとダイエットをした方が良い」
「自己管理も出来ていない奴が、何かの管理なんて出来る筈がない」

と生活習慣から何から厳しく指導していただきました。当時の僕は拙い英語で、まともに食事のオーダーも出来ず、ひもじい食生活でした。

これは後日談なのですが、やはりストレスもすごく溜まってしまい、
「もう無理かもしれない・・」と非常階段で独り、涙を流した日もありました。
きっと日本では、英語を話せたらカッコいい!と思う程度だと思うのですが、現地では

「英語を話さないと生きていけない」
「何が何でもやらなくてはいけない」

というものになっていて、現実の厳しさを痛感すると共に大きな転機にもなりました。

次回、松下さんがアメリカから帰国後、なぜIT業界で起業しようと考えたのか。
そして起業直後の下積みエピソードや松下さんが現在大切にしていること、
今後のTheNewGateの野望や展望などについて、紹介していきます!!
ぜひぜひ、ご覧ください☺︎


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